【高瀬比左子】介護の現場と経営、その「溝」を埋めるのは誰か ー 分断を越えて、同じ方向を向くために
対話を続けていると、時々、昔から変わらない声が聞こえてきます。
現場からは、「経営者は数字のことばかり考えているように感じる。私たちが利用者さんのためにやろうとしていることを、分かってもらえない」。
一方で、経営者からは、「現場には、事業を続けていくことの大変さがなかなか伝わらない。このままでは人件費も払えなくなる」。そんな声です。【高瀬比左子】
もちろん、すべての職場がそうだというわけではありません。経営者も、現場の大切さを分かっている。現場も、事業を継続することの大切さを分かっている。
それでも、日々の仕事の中では、お互いの見ているものが少しずつ違ってくる。同じ事業所で働いているのに、いつの間にか、別々の方向を向いてしまう。
介護の現場では、そんなすれ違いが起きているのではないでしょうか。
思えば、介護カフェを始めた十数年前にも似たような声を聞いていました。処遇改善の仕組みができ、介護職の賃金が社会的に大きく取り上げられるようになった頃も、
「経営者が何を考えているのか分からない」
「現場が何を求めているのか分からない」
という声はありました。
制度も介護を取り巻く環境も大きく変わりました。それでも、現場と経営の間にある「分かり合いにくさ」は、今もなくなってはいません。
これは、個々の事業所の問題だけではなく、介護という仕事が抱えている構造的な難しさの一つなのかもしれません。
◆ なぜ、すれ違いは続くのか
なぜ、これだけ長くこの溝が埋まらないのでしょう。介護カフェでさまざまな人の話を聞いていると、いくつかの理由が見えてきます。
一つは、そもそも「お互いの仕事を見る機会」が少ないことです。
現場の職員は、目の前の利用者さんへのケアや記録、家族対応、チーム内の調整などに追われています。一方、経営側には、人件費や稼働率、収支、採用、設備、事業継続など、現場からは見えにくい仕事があります。
経営者が現場を大切に思っていても、現場からは「数字しか見ていない」と見えることがある。現場が利用者さんのために頑張っていても、経営側からは「事業全体への影響が見えていない」と感じることがある。
どちらかが間違っているというより、見えている景色が違うのです。
もう一つは、使っている「言葉」が違うこと。経営側が使うのは、売上、人件費、稼働率、加算、収支、採用といった言葉。現場で交わされるのは、利用者さんの昨日と今日の違い、ご家族の表情、職員同士のちょっとした気遣い、ケアの難しさといった言葉です。
どちらも介護を続けていくために必要な情報です。ただ、それをつなぐ人がいなければ、同じ事業所の中にいながら、別々の言語を話しているような状態になってしまいます。
そして、その間に立っているのが、管理者や主任、リーダーといった中間層です。上からは経営側の考えを受け取り、下からは現場の声を受け取る。現場の気持ちも分かる。経営の事情も分かる。両方をつなぐ役割を期待されます。
けれど、その「間に立つ」という仕事は、決して簡単ではありません。
単に伝言するだけでは、どちらかの不満が残る。かといって、すべてを調整しようとすれば、その人自身が疲弊してしまう。
中間層の負担を考えるとき、人手不足だけでは説明できないものがあるように思います。
◆ 分断のままでいいのか
少し視点を広げてみると、介護事業所が抱えている課題の中には、一つの事業所だけでは解決しにくいものもたくさんあります。
人材確保。
賃金や人件費。
物価や光熱費の上昇。
制度改正への対応。
介護報酬の仕組み。
職員の育成。
地域の介護ニーズの変化。
こうした問題は、経営者だけが背負っても、現場の職員だけでも解決できません。
だからといって、「経営者も現場も同じ考えになろう」と言いたいわけではありません。立場が違えば、見えるものも、優先するものも違って当然です。
むしろ必要なのは、違いがあることを前提にして、「私たちの事業所にとって、今、本当に大切なことは何なのか」を一緒に考えられることではないでしょうか。
◆ カフェで見えてきた「つなぐ」ということ
介護カフェを続けていると、立場が違う人同士が同じテーブルにつくことで、少しだけ見え方が変わる瞬間があります。
普段は「経営者」として見ていた人が、家族や利用者さんとの思い出を話す。いつも「職員」として見ていた人が、事業を続けることへの不安を話す。
すると、「あ、この人も同じように介護のことを考えていたんだ」という瞬間が生まれることがあります。
もちろん、それだけで職場の問題が解決するわけではありません。対話をした翌日には、またそれぞれの役割に戻ります。
経営者は経営の判断をしなければならない。現場は利用者さんのケアに戻る。管理者は、その間で調整を続ける。
だから「一度話せば終わり」ではなく、話し続けられる仕組みが必要なのだと思います。
例えば、現場の職員が事業所のお金の流れや経営上の課題を知る機会があってもいい。経営側が、現場の仕事を実際に見たり、職員から日々の困りごとを聞いたりする機会があってもいい。
すべてを共有する必要はありません。でも、「自分たちの仕事が、事業全体の中でどうつながっているのか」を知るだけでも、見え方は変わるかもしれません。
そして、対話したことを「話して終わり」にしないことも大切です。
小さなことでいい。「まずこれを試してみよう」と決める。やってみる。その結果をまた話す。
そんな小さな循環があれば、対話は少しずつ職場の文化になっていくのではないでしょうか。
◆ 事業所の外に出てみる
もう一つ、私が介護カフェを続けてきて感じているのは、「職場の外に出ること」の意味です。
地域の別の事業所の人と話してみる。他の法人の経営者の話を聞いてみる。現場の職員同士で、「うちではこんなことがある」と話してみる。
すると、自分の職場で起きていることを、少し離れたところから見ることができます。
「うちだけの問題だと思っていたけれど、そうでもないんだ」と思えることもあります。逆に、「他の事業所では、こんなやり方をしているんだ」と新しい視点を得ることもあります。
地域の中に、立場や法人を越えて話せる場があること。それは、現場と経営をつなぐ一つの方法にもなるのだと思います。
◆ 現場と経営をつなぐのは、誰なのか
介護の仕事では、利用者さんの「できること」を一緒に探します。できないことだけを見るのではなく、「この人には何ができるだろう」と考える。
もしかすると、現場と経営の関係にも、少し似たところがあるのかもしれません。
「経営者は分かってくれない」
「現場は分かってくれない」
そんな風に、それぞれの「できないこと」に目を向けるのではなく、「この人と一緒にできることは何だろう」と考えてみる。
もちろん、立場が違えば意見がぶつかることもあります。
経営上、現場の希望をすべて受け入れられないこともあるでしょう。現場にも、事業全体の事情をすぐには理解できないことがあります。
だから、何でも分かり合う必要はないのだと思います。
違いがあるままでも、話せる。意見が違っても、共通の課題について考えられる。そのための「場」がある。私は、そこに対話の意味があるように感じています。
介護カフェを始めて十数年。いろいろな立場の人と話してきましたが、私自身もまだ答えを持っているわけではありません。だから問い続けています。
もし、あなたの職場で現場と経営が同じテーブルにつくとしたら、最初に何を話しますか。そして、そのテーブルをつくる人は、誰なのでしょう。
もしかしたら、経営者でも管理者でもなく、「一度、ちゃんと話してみませんか」と声をかけた、たった一人の職員なのかもしれません。









